子供を1年育てて、人類が初めてわかったこと

息子が1歳になった。

 

いざ「子供がいる」という状況はただ「子供がそこにいる」という事とは
まったく違っていて、自分の人生そのものに子供がいるということ(思考や喜びや重大や心配や希望や感情や視界ひとつひとつ隅々にまで)で、

いざ「母になる」ということは「母という職業に就く」という事とは
まったく違っていて、母という動物としての自分になることだった。

それはサケが産卵期に川をのぼる本能に逆らって
「私は子を産みたいけど 、でも川を上らずここにいたい!」という
自分本位をねじ込む事が不可能なように   

人も、
動物としての母として出産して
動物としての母として乳を与え子を愛し守り夜中に乳を与え身の回りをきれいにし食べ物を与え鳴き声で気持ちを感じ愛情を注ぎつづけ育てる中に
その本能をじゃまするものを入り込ませる事はできない。

だから 「自分がどうしても個人的にしたいこと!」をする時間は当然減る。サケはそれに疑問を感じない。一方人間は急に減る自分時間に戸惑う。
「どうして旦那だけ飲み会いくの」「美容院ずっといけてない」「たまにはひとりででかけたい」「辛い!」いいねいいねいいね!等。

なぜなら
人間は普段あまりにも動物であることから離れて生活しているから、産んだ瞬間、突然はじまった動物としての時間についていけなくて戸惑うのだ。

私たちは動物。私たちは動物。子供を産んでない人も動物。
私たちはチンパンジー亜族の姉妹群であるヒト亜族である。

それが母親になってみないとわからないことだった。

とはいえ、
私は明日も車を運転してJwaveを聞いてfacebookのアプリを立ち上げて
何かにいいねする。それでも動物だから子に乳をあげて食べ物を与え体を洗い眠らせて常に目を向けて危険から守り愛情を注ぎつづける。
母親というのは「自分の時間がない人」じゃなくて「動物の時間がある人」なだけだから 減った時間に目を向けず増えた動物時間に目を向ければ 
  

ほとんどの子育て炎上記事は解決!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!